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    蝉丸ルール?

    蝉丸ルールってご存知ですか?

    百人一首で遊ぶ「坊主めくり」のルールなんですが。

     

    「坊主めくり」とは?やったこと無い方もいらっしゃるかもなので

    ざっくり説明させていただきますね。

     

    使うものは、百人一首の絵札だけ。読み札は使いません。

    絵札を全て裏っ返し、積み重ねれば準備完了。

    それを遊ぶ人たちの真ん中に置き、順番に1枚ずつ引いて表を見ます。

    引いた札の絵が

    ①男性が描かれた札を引いたら、そのまま自分の手札とします。

    ②坊主(お坊さんでもかぶり物を着けていることがあるので注意)の

     描かれた札を引いてしまったら、引いた人の手元の札を全て

     山札の横に出しましょう。

    ③女性の札(お姫様)を引いたら、引いた人がそれまでに山札の横に

     置かれていた札を全てもらうことができます☆

    積み重ねた裏向きの札の山がなくなるとゲームが終了。

    この時に最も多くの札を手元に持っていた参加者が勝ち。

    読むと分かりにくいかもしれませんが、やってみると簡単で楽しいですよ!

     

    さて蝉丸ルールとは?

    いろいろな遊びにローカルルールがあるように「坊主めくり」にも

    ローカルルールがあるんです。

    その一つが蝉丸ルール。

    札を表返した時に蝉丸だったら、その場の全員が手元の札を

    山札の横に出してしまわなければならない、というものです。

    恐るべし蝉丸。

     

    我が家では蝉丸ルールは適用していませんが

    蝉丸がでた時に「あっ蝉丸~~」となるのはなぜなんでしょうね。

     

    蝉丸の人となり

    そんな蝉丸ですが(ってどんな)

    宇多天皇の皇子敦実親王の血を引くとか、

    あるいは醍醐天皇の第四皇子などの諸説があります。

     

    また、盲目の琵琶法師だったという説がありますが

    百人一首の絵札に描かれた蝉丸は盲目で琵琶を奏でている姿が

    多いのはこの説からなんでしょうね。

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    蝉丸は絵札では坊主カテゴリーですが、坊主(失礼!)では

    無いようです。

    『今昔物語』によれば、宇多天皇の皇子敦実親王に仕える

    官位の低い役人で、琵琶の名手だったとたいわれます。
     

    いずれにしても、謎の多い人物だったんですね。

     

    百人一首の歌は

    「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」

    これが蝉丸の歌。

     

    意味は、「これがあの有名な、都から東国へ下って行く人も

    都へ帰って来る人も、ここで別れてはまたここで逢い、

    知っている人も知らない人も、ふたたび逢えるという

    その名のとおり逢坂の関なのだなぁ」という感じでしょうか。

     

    『これやこの』は、これが話に聞き及んでいる、これこそが!

    という意味で、結句の『逢坂の関』に掛かっています。

    逢坂の関は

    「夜をこめて とりの空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」

    の清少納言の歌にも詠まれていますね。

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  • スタッフブログ, 古文 14.12.2009 コメントは受け付けていません。

    古文な気分「時期的に菅原道真」かな?

    「古文な気分」時期的に菅原道真思い出す、なんてね。

    学習塾エール学院の古文のシリーズでは、今 百人一首を特集しています。

    その中でも、歌にまつわる話や 作者のエピソード

    言ってみれば「百人一首スピンオフ」ってところのお話。

     

    菅原道真の歌は

    此の度は 幣も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

    (今度の旅は急な旅立ちだったので、「ぬさ」を用意するようなひまもありませんでした。

    手向山の神さま、とりあえずこの美しい紅葉を「ぬさ」としてお供えしますので

    どうかお心のままにお受け取りください。 )

    というような意味になります。

     

    菅原道真は宇多天皇に重用されて昇進し、醍醐朝では右大臣にまで昇りました。

    ところが左大臣藤原時平に心無い告げ口をされてしまい、

    大宰府へ権帥として左遷され現地で亡くなりました。

     

    菅原道真の死後天変地異が多くおこったので朝廷に祟りをなしたとされて、

    天満天神として信仰の対象となったのです。

    現在はご存じのように学問の神として多くの人々に親しまれていますね。

     

    菅原道真と梅の花

    太宰府天満宮に行かれた方ならご記憶にあると思いますが

    「飛び梅」の話も有名ですね。

    (私は同名の梅のお菓子をお土産にいただいたことを記憶しています)

    菅原道真が京の都を去る時に詠んだ

    「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名な歌です。

    その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んで行ったという話です。

     

    何だか神がかった逸話の多い方なんですね~。

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  • スタッフブログ, 古文 09.12.2009 コメントは受け付けていません。

    古文な気分~帰国できない!~

    古文な気分「帰国できない」、ハテ何の事?

    この題を見てピ~ンときたあなた、相当な「古文ツウ」ですね。

    ご存じなくて良いのです。これから訳を説明しますので。

     

    百人一首のなかでも有名な歌、

    「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」

    今日は、この歌を詠んだ阿倍仲麿のお話なんです。

     

    阿倍仲麿の悲運

    百人一首の歌は

    「大空はるか遠くをながめると、月がのぼっているが、

    あれは故郷日本の三笠山に出ていた月なのだろうかなあ。」

    という望郷の意が込められています。

     

    若くして学才を評価された阿倍仲麿は717年、第8次遣唐使に同行して

    唐の都、長安に留学しました。

    在唐35年を経過したころ仲麻呂は帰国することになりますが

    乗船した船は暴風雨に遭って南方へ流されてしまいます。

     

    その後、日本への帰国を叶えられることなく

    770年1月に73歳の生涯を閉じました。

    その間、玄宗、肅宗、代宗の三人の皇帝にお仕えしたそうです。

     

    それにしても19歳からの唐での生活はどんな様子だったのでしょうね。

    故郷を懐かしんだ日も多かったことでしょう。

    現代と違って、海外で生活する日本人も

    ほんの限られた人々だったでしょうから。

     

    そんな背景を思いながらもう1度詠んでみましょう。

    「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」

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  • スタッフブログ, 古文 05.12.2009 コメントは受け付けていません。

    古文な気分「百人一首を覚えよう」14回目!

    「古文な気分」は「百人一首を覚えよう」シリーズをお送りしています。

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    雨ですね。

    しかも寒い!冷たい12月の雨です。

     

    こんな日は暖かいお部屋で…百人一首を覚えましょう!

     

    とうとう「きまり字」6字 最後です

    31  あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに  よしののさとに ふれるしらゆき

    64  あさぼらけ ぢのかはぎり たえだえに  あらはれわたる せぜのあじろぎ

    15  きみがため るののにいでて わかなつむ  わがころもでに ゆきはふりつつ

    50  きみがため をしからざりし いのちさへ  ながくもがなと おもひけるかな

    76  わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの  くもゐにまがふ おきつしらなみ

    11  わたのはら そしまかけて こぎいでぬと  ひとにはつげよ あまのつりぶね

    ぱっと見、お分かりかと思いますが

    「あさぼらけ」だけ聞いて 「あらはれわたる せぜのあじろぎ」

    を取ってしまってはいけないんです。

    「よしののさとに ふれるしらゆき」の可能性もあるんですから。

    あせらないあせらない。

     

    「わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟」 

    「わたの原」なんですが「わた」は海、「原」は広い所、つまりは大海原を指すんですね。

    作者の 参議 篁(さんぎたかむら)は 837年に遣唐副使に任ぜられました。

    けれど大使と争って乗船しなかったために、隠岐に流罪になってしまったんです。

    隠岐に送られていく途中、出会った漁夫の釣り舟に

    この歌を作って詠んだそうです。

    遣唐使は壊れた船で行け、と言われていたそうなので

    断ってしまうのも無理のない話です。

    その後、許されて参議に進んだ、ということです。良かったですね~。

     

    短歌の良さの一つに その歌の詠まれた背景がうかがえるというところが

    あると思います。

    その背景が思い浮かぶと、より暗記が深い物となりますね。

    こうやって暗記すると その記憶は一生物ですよ!

     

    これで「きまり字」での覚え方は最終回なんです。

    パチパチパチ~。

    次回からは「百人一首シリーズ スピンオフ 歌の背景」について

    書いてみたいと思います。

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  • スタッフブログ, 古文 02.12.2009 コメントは受け付けていません。

    古文な気分「百人一首を覚えよう」13回目です。

    「古文な気分」は「百人一首を覚えよう」シリーズをお送りしています。

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    今日は小春日和でしたね。窓から差し込む日差しが暖かかったです。

    明日は雨模様になるようですが

    これで紅葉も葉が落ちてしまうでしょうか。

     

    このごろ「百人一首」で検索してくださる方が何名様か

    いらっしゃるようです。

    ありがとうございます。嬉しいです。

    知ってる事は全て書きたいと思うのですが、

    後からまた書きそびれた内容は付け足したいと思っています。

     

    では「きまり字」5字を覚えていきましょう

    きまり字5字の短歌は2首しかありません。

    93  よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ  あまのをぶねの つなでかなしも

    83  よのなかよ みちこそなけれ おもひいる  やまのおくにも しかぞなくなる

     

    93の「世の中は 常にもがもな  渚こぐ あまの小舟の 綱手でかなしも」は

    鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)の歌です。

    「この世の中は、いつまでも変わらないでいてほしいなあ。

    いま、このなぎさをこいでいく漁夫の小舟にかけて、

    陸から引いていく綱のなんとおもしろいことよ。」という意味。

    「もがもな」は、「もがも(願望)+な(詠嘆)」

    で実現困難な願望を、詠嘆的に表現しているんです。 

     

    83の「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」は

    皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)の作。

    「つらくていやなこの世の中からのがれる道はないのだなあ。

    思いつめてはいった山の奥にも、妻をしたう鹿がさびしく鳴いているよ。」

    という感じですか。

    「こそ」は強意の係助詞、また

    「なけれ」は形容詞「なし」の已然形で、こその結びとなります。

    「(悲しみを逃れる)方法などないものだ」という意味です。

     

    「世の中」が古典で出てきた時には「男女の仲」を指すことが多いので要注意!

    この歌は2首とも「世間」的な意味ですが。

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